「裏の陽」


2021, July 12



たまにアーティストは生贄のように見えることがある。あいつはアーティストっていうと、周りは勝手にかっこいいイメージを持つ。だけど、それは消費の世界の中で構築されていった歪みの投影かもしれない。

アートというのは決してかっこいい世界ではない。そう夢に思える人たちが、楽しく会話をしている時に、表現する人間は常に自分と対話をしている。そこは暗い密室かもしれないし、誰もいない森の中かもしれない。とっても地味だ。湿った空間の中で、人の裏側を支えているリアルな流動と共に、蛍のように純粋な光を保っている。そこは決してファンタジーのような夢の世界ではない。時に強烈な人間の渦を端から端まで観察させられる。そこでの傷があまりに深い時、身体は病気や薬に頼るしかなくなることもある。まともではない。そうして、暗闇の中で、一瞬微かに灯った光が、この世界で形となって外に出ていく。

それをまたその外に出すとき、交換の世界に入る。この世界は交換が一般になった。人は物々交換からお金が始まったと思うようになった。いつしか人々から、贈与という概念は消えた。世界は精神をモノと見るようになった。

そんなことへの屁理屈を捨てることができた人と、精神をモノに見れる人が世に広めていく。だけど商品にならないものはゴミになる。人気になる見込みがない、影響力がない、自分への利益とお返しがなければ即捨てる。交換の中で生きる人にとって、どんな体験でも、物は物なのだ。お返しがなければ成り立たない。アートもそうやって、一部の体験が世に出て、残りの9割の体験は孤独の中に忘れられていく。

世に出ると、聴く人のほとんどはかっこいいからと聴く。流行っているから聴く。流行っているから展覧会に行く。なんか深いから、エモいから、こいつはわかってるから、とアーティストに同情する。そこでもアーティストはものとして見られる。その奥にあった背景までを見る人は少ない。その歌詞の意味が何を意味するのか知らない。時に、人が見る必要がないことや、虚無の境の情景がオブラートに包まれて謳われている。そんなこと大半は知らない。なぜそれが心を打つのか知らない。誰も彼らにアートを辞めさせようとはしない。そんな異常なアートの世界にほとんどの人は疑問を持たない。もっとクールなものを期待する。

目立つものは最終的に、商品となり、ファッションになる。誰かのエグられた心臓から放たれた商品を使って、人々は社会の鬱憤や、日々の物語から解放される。そしてまた明日から仕事をする。その体験のおかげで、大半の人は同じ体験をしなくて済む、考えたくないことを考えなくて済む、3割くらいの体感で心を癒されて、また明日から生きることができる。

リアルなアートの世界で生きる人は、ひたすら自分と会話をするほかない。人の承認からなる表層がいかに小さなものなのかを知っているから。どんなに人気が出ても癒されない。本当のアートの正体は、誰にも目を向けられず、ただ、ひたすらに全ての人に幸せも不幸せもない時が来るのをじっと待っている精神の塊のことかもしれない。それまでは生贄のように、アートという商品として消費される世界の裏側で、ひたすらに純粋な光を保っている。

© 2021 I'mbient.

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