「誰かの記憶」


Aug 6, 2021



僕の母校の卒業生に詩人で音楽家になった人がいた。その人は戦争の時、陸軍少尉として沖縄糸満へ渡り、24で戦死した。その間、ひめゆりの女学生達と時間を共にして、彼女達に一つの歌を残した。今もその歌は、女学生達の卒業の歌として歌われている。そんな縁から僕の母校では、修学旅行で沖縄に行き、平和記念公園でその歌を歌うのが恒例となっている。


夏になると思い出すことがある。わたしはたぶん沖縄にいた。夏になると、ばあちゃん家の周りは沖縄みたいだった。学校を休んで田んぼの畦道を、汗をかきながら自転車を漕いだ。夏の日差しで朦朧とした意識の奥に、あの日の情景が浮かんでくる気がする。

ずっと何かが心の奥で鼓動してる。あの時生きていた人の声のようなもの。今よりもずっと若い女の人だった。たぶん戦争だった。壕だった。包帯を巻いた。止血をした。たくさん運んだ。虫がたくさんいた。たぶん最後は野原で死んだ。砲弾で下半身が吹き飛んだ。右側を、ちよちゃんが、後ろから前に走った。わたしは、行って!と叫んだ。ちよちゃんは泣きながら走り去った。

この記憶が誰のものなのか、誰も知らない。ちよちゃんが誰なのか知らない。でも、戦争って記憶は個人のものじゃない。みんなの記憶の中に戦争はある。僕はあのわたしの断片をある時期見続けていた。その間は、狂ったように沖縄戦について調べていた。学校をずっとサボって、図書館に朝から夜までこもった。たぶんそうやって、戦争と平和は人の中を流れてる。いつも流れてる。もし、ちよちゃんが目の前に現れたら、わたしは大丈夫よ。と声で言ってあげたい。


© 2021 I'mbient.

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